息子と阪急電車

先日、家族で久しぶりに大阪に行った。

我が故郷でありながら、(年末とボーナス後というのもあり)あまりの人の多さに酔った。

車中から大阪のビル群を眺めていたはじめの頃は「もうやっぱり大阪に住む!」って思ってたけど、

いざ街中を歩き出したら「もう徳島の家に帰りたい・・・」そう思っていた。

大阪が私の住む場所ではなくなっていた。

ただのビルが立ち並ぶ都会だった。

よくもまぁこんな人混みの中で普通に息してたものだわ、そう思った。

なんておセンチな気持ちになりながらも、息子の電車デビューが鮮烈で一気に感傷は吹き飛んだ。

 

初めての電車は阪急。

私が通勤で長年使っていた路線だけあって、徳島に行って以来一度も電車に乗ってなかったとは言え余裕をかましていた。

さっと切符を買って息子と二人で悠々と電車の旅(二駅)を楽しもうと思っていたのだが、いざ切符を買おうと思っても目当ての金額が見当たらない。

そもそも阪急に乗りたいのに、路線から探すを押しても地下鉄しか表示されない。

なぜだなぜだなぜだ!

10kg超えの息子を抱えながらの操作には限界があり、「ママのそばにいてよ」と念を押して放ち表示パネルに向かう。

やはりどこを探しても阪急線の160円の表示がない。

気付くと視界から消えている我が息子2歳。

そこまでは予想していたのだが、基本ビビリな息子が見慣れぬ土地で母の側を大きく離れることはないだろうと  高を括っていたのが間違いだった。

なんと息子は勝手に改札をくぐって”向こう側“に行ってしまっていた。

一瞬頭が真っ白になり、次の瞬間無意識に大声を出していた。

「こっち戻っといで!!」

普段人目を気にしてばかりの私が、こんなにも公共の場で声を出したことが未だかつてあっただろうか。

・・・そういえばあった気がする。

大学時代、友達がサッカー観戦の待ち合わせに1時間遅れたときだ。

とあるチームのサポーターだった私は、友人の遅刻が原因で試合観戦に遅れることに頭に血が上って怒号をあげたのだった。

その時はとっても不穏な空気になったけれど、安心してください。その友達とは今も仲良くしております。

 

それ以来の大声をあげた私。

固まる息子。

券売機に入れっぱなしの200円。

私も息子もどうしていいのだ、この状況、と一瞬の間に思い巡らしていたところ、親切にも改札を通った年配の女性が「お母さん呼んでるよ」と息子の背中を押してくれた。

とことこっと改札をくぐり抜けて母の元に戻る息子。

緊急帝王切開で出てきた青白い息子の顔を撫でたとき以来の安堵である。

マジ感謝。マジ泣きそうだった。あのときも、このときも。

そして息子の手をしっかりと握って券売機に向かったときに、あることに気付いた。

二駅向こうの切符を買おうと格闘していた券売機は、地下鉄専用だったのである。

阪急の切符売り場はその右隣に位置していた。

今までその駅から阪急線に乗っていたけれど、ずっとICOCAだったから券売機を利用することがあまりなかったのだ。

券売機に入ったままの200円を取り出し、無事に阪急の切符を買うことができた。

その後の電車の中の記憶は、今はかろうじて覚えているが、きっと数年経ったら改札くぐり抜け事件だけが鮮明に記憶に刻まれて、それ以外は薄れてしまうんだろうなぁ、と思う。

それはそれで、いい思い出、だけれど。

 

これから息子が大きくなるにつれて、もっと公共の場で大声で叫ぶ日がたくさん来るんだろうなぁ。

おしとやかな母でいたかったなぁ。

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